2007.02.20

偕楽園―茨城

 梅まつり(第111回水戸の梅まつり)が今日から始まる偕楽園に、それに先立つ先週の土曜日(2月17日)に行ってきた。

 常磐線の偕楽園臨時駅の営業も翌週からなので、水戸駅から茨城交通バス(230円)。園内の梅は4分咲き(水戸駅の掲示による)で、近寄ると確かにぱらぱらとしか咲いていないが、ちょっと離れると十分に楽しむことができ、遠見には満開に見える木も少なくない。逆に混雑はそれほどでもなく、露店の類も営業しているし、十分に満足することができた。


 園内の事務所は、なんと3本部体制の大組織。左から観梅本部・警備本部・救護本部。


 好文亭への芝前門。


 好文亭の入場料は190円。建物や庭の風情に落ち着きがある。眺めも良いが、3階に料理を揚げるための手動エレベータ(?)跡や、竹を組み合わせて閉めると存在が外からわからなくなる窓なんぞも楽しめる。


 3階からの眺望。


 水戸家代々。当代は1958年生まれで、いまだに「○公」の謚(おくりな)のある一族が、天皇家以外にあるとは知らなかった。
 初代が徳川家康の子(ちなみに2代目が「水戸黄門」の光圀)で当代が15代だから、本家に比べると1代が長いですな。


 ちょっと歩いて千波湖へ行くと、白鳥のボートと黒鳥が並んでいた。もちろん本物の白鳥もいるのだが、残念ながら黒鳥のボートは見当たらなかった。
 黒鳥のくちばしって真っ赤なんですね。

[写真:2007年 2月17日]

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2006.03.23

スユクペクパン―韓国



 密陽Miryangの郷土料理はデジクッパプ(豚のクッパ)であると『地球の歩き方』に書かれている。なるほど、市街地にあるバスターミナルの回りを少し歩くと、「○○デジクッパプ」という名前の店が何軒もある。そのうちの1軒、「ヒャンドデジクッパプ」に入った。

 デジクッパプは以前釜山で食べたことがあるので、ここではスユクペクパン(7000ウォン)を頼む。「スユク」はゆでた豚肉、「ペクパン」は「白飯」である。

 しばらく待つと御飯やキムチや汁が運ばれ、ちょっとしてから「スユク」が出てくる。どういう食べ方が標準的なのかわからないが、とりあえず酢醤油のようなたれにつけて食べると、これがうまい。小さな海老の塩辛をつけて食べるとまたうまい。海老の塩辛を載せてたれにつけると、これまたうまい。「いくらでも食べられる」という表現があるが、まさにそれ。もちろん、いくらでも食べられるわけではないが。

 合間に汁をすすり、キムチをつまみ、生の玉葱に味噌をつけてかじる。にんにくもかじる。唐辛子をかじる勇気は…まだない。



[写真:2006年 3月18日]

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2006.03.22

京釜線密陽駅―韓国



 密陽Miryangは釜山から京釜線で60.1km、KTX(高速列車)だと32分のところにある。何となく以前から気になっていた地名なのだが、今回初めて行くことができた。

 韓国の駅舎は、KTXの開業に前後して改築された近代的なものと、伝統建築的なものとに分かれるが、密陽駅はご覧の通り後者。内装も凝っている。



 駅は密陽市の中心部から離れているので周囲は落ち着いており、あまり「新幹線」KTXがやってくるような雰囲気ではない。もっとも、このあたりは在来線にKTXが乗り入れてくる「ミニ新幹線」区間であるのだが。

 それでも道路にある案内板には「高速鉄道密陽駅」となっているし、KTXの待合室もある。ホームは共通なので、誰でも使えると思うが。



 駅のすぐ裏は崖になっており、その間に石碑がいくつも並んでいる。ハングルが細かく書かれているものもあるが、下の写真のように、読みやすくて意味も良くわかるものもあった。



[写真:2006年 3月18日]

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2006.03.21

ムグンファ号食堂車―韓国



 韓国ではセマウル号・ムグンファ号の一部に食堂車が連結されており、値段もそこそこで味も良い。

 写真はムグンファ号の「チャンハプ弁当(?)」(8000ウォン)。弁当箱の左下は肉(プルコギ)、左上が玉子焼き・フライ・天ぷら、右上がキムチ類。別に白菜キムチがたっぷりと、海苔・味噌汁である。

 他のメニューは
  ・カルビタン(8000ウォン)
  ・サゴル=ウゴジタン(7000ウォン)
  ・ユッケジャン(7000ウォン)
  ・カレーライス(6000ウォン)
  ・チャジャン飯(6000ウォン)
  ・うどん(5000ウォン)
等だった。

 以前は食堂車で調整した弁当が車内販売されていたが、この時の列車では見かけなかった。以前は頻繁にまわってきたキムパブの販売もなし。釜山9時05分発・ソウル14時29分着という、昼食時をはさんだ列車なのだが。


 食堂車の外観



 内部。中央に調理室があり、前後で内装が異なっている。下の写真はデッキからガラス越しに撮影。

[写真:2006年 3月19日]

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2006.03.01

アーリーバード(神戸空港)―兵庫




 2月16日に開業した神戸空港の「空弁」。

 中身は、「原材料名」ラベルによると、おにぎり(ごま・ゆかり)、さんまみりん干し、煮卵、煮物(こんにゃく・人参・絹さや・その他)、牛肉煮、金平れんこん、わかめ佃煮、梅干、のり。

 神戸駅弁「肉めし」でおなじみの淡路屋の手になるだけあって、「牛肉煮」がたっぷり入っている。そのほかのおかずも、小ぶりながらもきっちり入っていて満足できる。袋ごとの味付け海苔(神戸のメーカでした)がおもしろい。

 完全に和風なのに名前だけが洋風なのが不思議だが、家庭で作った弁当のような感じで美味かった。600円。

[写真:2006年 2月26日]

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ウボン散策(1) ワン=ツー=ゴー―タイ

2005年 8月18日


 ウボン=ラーチャターニーUbon Ratchathaniはタイの東北部、ラオス・ベトナムとの3国国境に比較的近いところにある。日本からバンコクへの飛行機はベトナムのダナン付近でインドシナ半島に上陸して西へ進み、ウボン=ラーチャターニーの上空を経由してバンコクに向かう。

 国鉄東北本線南線の終点であり、以前に1度来たことがあるが、その時はバンコクを朝出た列車で夕方に着き、ほんの少しいただけで夜行列車で折り返した。従って、駅の周り、というか駅前広場程度しか見ていない。

 6日前に新設されたばかりだったワン=ツー=ゴーOne Two Goのバンコク-ウボン=ラーチャターニー路線に乗る(現在のウェブサイトの路線図には乗っていないので、もう廃止されたのかもしれない)。バンコク7時00分発のOX182便。バスで飛行機に向かい、タラップでMD-82に乗り込んだ。


 これはウボン=ラーチャターニー空港での写真です。

 ワン=ツー=ゴーは、オリエントタイ航空の国内線の名称。タイにもいくつかできた格安航空会社のひとつである。航空券はウェブサイトから予約したのだが、確認のメールがイギリス語とタイ語で書かれていたせいか、@niftyでは「迷惑メール」に分類されてしまった。危ない、危ない。

 機内はがらがら。座席の前後の間隔が非常に狭い。


 モデルになっていただいた(すみません、勝手に撮りました)女性ではわかりにくいかもしれないが、とにかく足が非常に窮屈。1時間、かつすいていたので我慢できたが、そうでなければ厳しかっただろう。

 「格安」なので食事は出ず(タイ国際航空だと国内線でもちょっとしたものは出る→参考1参考2)、飲み物と「おつまみ」だけ。



 「おつまみ」の袋がぱんぱんに膨らんでいるのだが、気圧の調整は大丈夫なのかしら?

 ほぼ定刻7時00分に出発して、ほぼ定刻8時00分に到着した。下の写真は、途中で見えた蛇行する川。



[写真:2005年 8月18日]

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2006.02.27

かきフルコース―石川



 穴水と言えば、かつては七尾線から能登線が分岐する駅、今はのと鉄道の終点駅である。しかしながら、奥能登観光の拠点になっているわけではないし、穴水自体の目立った観光地も少ない。

 ということでか、けっこう前から「まいもんまつり」が行われている。まいもん=美味いもの、であるらしい。春夏秋冬それぞれ、穴水の「まいもん」が町内の多くの料理店で食べられるという「まつり」である。毎年同じなのかどうかわからないが、今年度は春が「いさざまつり」、夏が「さざえまつり」、秋が「牛まつり」、そして冬が「かきまつり」となっている。

 ということで「かきまつり」。牡蠣のフルコース(3990円)は町内16箇所の飲食店で食べられるが、今回は「レストランおかざき」を選んだ。駅から近いことはもちろんだが、メールで予約できることが選択の理由である(掲示板でも可)。2日前、メールで1人でも大丈夫なことを確認して予約。



 穴水駅から左に歩いて数分。パチンコ屋の先に「レストランおかざき」はある。店に入ってメールで予約している旨を告げると、細長い長方形のかまど(でいいのかな?)が並んだ部屋に通される(上の写真の右側の部分)。先客は男女2人が2組。2組とも、ちょっと前に来たようだ。かまどには既に炭火が熾っている。

 座ってしばらくすると皿・箸・軍手(片側)とエプロンが出てくる。それからおっちゃんがバケツを持ってきて、入っている牡蠣6個を網の上においてくれる。



 壁の掲示を見ると、牡蠣は15個あるらしい。別の掲示には「よく焼いて食べるように」と書かれているし、やはり牡蠣には若干の不安があるので、とりあえず長めに焼くことにしよう。牡蠣フライが出てきたので、それを食べて待つ。先客2組も慎重。


 左はもずく酢。

 しばらくするとおっちゃんが出てきて、「もう大丈夫」と牡蠣を皿に載せてくれる。端の方が粉を吹いたようになれば大丈夫らしい(と言ってたように聞こえた)。それなら随分前になっていた。貝殻の間からは泡も出ていたし、十分火は通っていたのだろう。



 とりあえず最初の6個を食べ、後は自分で載せて焼く。第2弾は泡が出てしばらくしたら食べてみたが…うまい。最初のものはそうも思わなかったが、要するに焼きすぎだったのだろう。実は焼くのに時間もかかるし、「15個も食べるの面倒だなぁ」と少し思っていたのだが、あとはどんどん。すぐに15個はなくなってしまった。
 もう少し食べたいところだが、注文は15個単位(2500円)のようなのでがまんしておく。5個の設定があったり、2人以上で来ていたら追加を注文していただろう。



 後は牡蠣飯と吸い物。これで腹いっぱいになった。吸い物にも牡蠣が入っていた(様な記憶があるが定かでない)。

 次は「さざえまつり」の時に来てみたいものだ。いさざや牛も捨てがたいが…。

[写真:2006年 2月25日]

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2006.02.22

米沢駅跨線橋―山形


 駅舎側(山形方)より。右が1番線、左が2番線

 古レールで組まれた跨線橋。1番線の福島方に米坂線用の4・5番線があるため、1番線側は両方、2・3番線側は山形方にのみ階段がある。

米沢駅の構内図(えきねっと)

 現在は跨線橋の駅舎寄り(山形方)に東西自由通路があるが、さらにその駅舎寄りにエレベータ付きの跨線橋を建設中なので、それができると廃止になるものと思われる。「バリアフリー化」には賛成だが、古レール好きとしては残念なところ。


 上の写真の逆側から。奥の階段が新設の跨線橋

 この日の福島・米沢は暖かく、往復の「つばさ」は雪解けによる雪崩等に備えて庭坂-関根間で徐行運転をしており、所定より5分程度遅延した。

[写真:2006年 2月22日]

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2006.02.19

江古田の富士塚―東京



 江戸時代に富士山を信仰することが盛んであり、富士登山の代替として江戸市中の何箇所かに「富士塚」という富士山状の人工的な山が作られていたということを知ったのは、かなり以前のことである。そのいくつかが今でも残っている、ということを知ったのも最近のことではないが、それなら一度見てみたい、と思いながら長い間放置していたのはいつものことである。

 数年前から年に何度か江古田に行くことがあり、駅前に富士塚が残っているということはすぐに知ったのだが、これもしばらくそのままになっていた。先日、江古田でしばらく時間が空くことになり、ようやく見学したのである。

 「見学」といっても柵で囲われているために実際に登ることはできない。「麓」から見上げただけである。

 国の重要有形民俗文化財であり練馬区の登録有形民俗文化財でもある富士塚があるのは浅間神社。西武池袋線江古田駅は南側、即ち池袋側から見て左側に駅舎があるが、北側にも跨線橋に改札口がある。こちらを出て左側の階段を降りると、すぐ目の前が浅間神社である。

江古田の富士塚

 鳥居をくぐると正面に本殿があるが、その後ろにあるのが富士塚である。練馬区教育委員会による説明板によると、天保10(1839)年あるいは文化年間(1804~1818)に作られたもので、高さ約8メートル、直径約30メートルで、全体が富士山の溶岩で覆われており、都区内の富士塚の中でも大規模な部類に属する、とのことである。



 わかりにくい写真だが、中央上部の木の間に見えるに見える頂上の石祠が天保10年に建立されたもの。その他の石碑や石像にも、江戸時代からのものが多いようだ。

 なお、下記参考資料によると、江古田に限らず富士塚は数多くが残っているとのこと。また他のところも、機会があれば眺めて見たい。

■参考資料
 ・江古田の富士塚(練馬区のサイト)
 ・富士塚のアルバム
 ・東京いいとこ自転車散歩

[写真:2006年 2月 5日]

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2006.02.12

飛龍漂流記(13)―台湾・沖縄

2005年11月23日(水) 承前

 12時30分頃、島が見えた。携帯電話のGPS機能で調べると、おそらく渡嘉敷島ではないかと思われる。乗船した日からずっと感じていたのだが(なので既に書いたかもしれないが)、船の現在位置がわかるようにしてほしいものだ。飛行機によるあるようなリアルタイムとまではいかなくとも、1時間おきぐらいに案内所の地図に表示する、という感じで十分なのだが。

 あと到着予定まで1時間。荷物をまとめてしまい、13時頃から甲板に出る。13時10分頃には海に面した那覇空港の滑走路から飛び立つ飛行機が見えるようになる。今日か明日か、東京行きか台北行きか、いずれにせよ乗ることになる飛行機だ。


 そして13時20分。ついに防波堤の間を抜けて那覇の港に入る。海上保安庁のボートが併走する。もうすぐだと思うと気持ちが落ち着かなくなって案内所の前まで行くが、入国手続きは船内で行うのであわてることはないことに気付き、再び甲板へ。


 だんだんコンテナの積み上げられた岸壁が近付く。太いロープが投げられ、ついに接岸。最後の予定時刻であった13時45分ちょうどである。


 高雄を出発したのが20日の11時45分、時差1時間があるので3日と1時間、即ち73時間にして那覇に到着したのである。所定だと25時間なので、48時間、ちょうど丸2日余分にかかったということになる。下船を待つときに、「こういうことは良くあるんですか?」と聞くと、「年に何回かはありますね、特に台風のときなんかに」とのことだった。

 出国時と同じ「レキオホール」で入国手続きをし、「NAHA」の印を押してもらう。3泊の宿になった「飛龍21」を降りるとマイクロバスが待っており、税関の事務所へ。乗船客3人のうちの2人であった台湾人女性は係りの人と親しげに話しており、この船の常連らしい。

 税関の検査は対象人数が少ないので長め。バスが無いのでタクシーで那覇空港へ。翌日の台北行き飛行機を予約し、やっと落ち着けると空港内の食堂に座ると、突然揺れを感じて気持ち悪くなる。ずっと船で揺られていた反動だが、船が時化のなかにいるときよりも気持ち悪かった。この日の宿で寝る時もそうだったし、翌日の午前中までは座ったり立ち止まったりするたびに揺れを感じ続けたのであった。

[写真:2005年11月23日]

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2006.02.01

飛龍漂流記(12)―台湾・沖縄

2005年11月23日(水)

 4日目の朝。昨日の夜、寝る前に携帯電話の設定を台湾から日本に切り替えておいた。その時点ではどちらも「圏外」だったのだが、1時頃に眼が覚めたときに見ると、アンテナの印が出ている。ついに日本の「圏内」に入ってきたということだ。「圏外」になったりアンテナになったり不安定だが、とにかく日本に戻ってきたのだ。

 7時前に起きて、朝食前に案内所横の掲示板を見ると、那覇の「入港時間」の欄は「11/23(水) 15:00」のまま。とりあえず夜の間は順調に進んで来たようだ。朝一番の放送では到着予定が13時50分だという案内があった。妙に細かいのね。それだけ、正確に予定が立てられるようになってきたということだろう。

 朝食。


 昨日の朝食と同じだが、サラダが無くなった。やっぱり食材が少なくなっているのかしらん。ま、生野菜ですからね。

 どこにいるのかわからないし、時々窓から外を見ても陸地は見えないのだが、着実に進んでいることは間違いない。
 午前中は相変わらず読書。いつも長期の旅行では途中で読むものがなくならないよう、かつ荷物ができるだけ少なくなるように、どんな本を何冊持って行くかを悩む。今回は厚い文庫本を3冊にしたのだが、もう残りがほとんど無い。那覇に着いたら本屋へ行かなければ、と思う。持ってきた本を全部読むなんて、初めてのことかもしれない。

 昼食。

 カレーライスだけ。しかも、良くある大きさのカレー皿ではなく、小さめである。まぁ、あと2時間弱で到着だ。食事が出るだけでもありがたいと言えよう。結局、この食堂で10回食事をしたことになる。金を払ったのは最初の2回だけなので、かなり元が取れた(笑)。

[写真:2005年11月23日]

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2006.01.08

飛龍漂流記(11)―台湾・沖縄

2005年11月22日(火)

 3日目の朝。だんだん、出発してからのことを指折り数えなければ日付がわからないようになって来た。早い時点で日付を記録する必要に気付いたロビンソン=クルーソーは偉いと思う。

 甲板に出てみると、曇ってはいるが少しだけ青空も見える。海はさざなみ。昨朝と同じくさわやかで、見えている陸地の形も変わらない。近くを漁船が1艘通っていく。

 8時になると朝食。


 朝食後の8時半頃、ついに船は動き出した。左側(東側)に見えていた山は、すぐに海に向かって切り込んでいる。台湾最南端の鵝鑾鼻(ウォランビィ)だ。

 何のことは無い、この船は台湾の東側を進もうとして引き返し、西側にほんの数kmだけ入ったところ、鵝鑾鼻と猫鼻頭(マオビートウ)にはさまれた南湾(ナンワン)に停泊していたのだ。

 しかし、えらいものでと言うかなんと言うか、鵝鑾鼻を回って太平洋に出ると、すぐに船は揺れ始める。10時ごろからは雨も降り始めてかなりの揺れ。食堂の椅子や、廊下に置かれたごみ箱は、いつの間にか紐で固定されていた。


 そんな中、昼食。客の座る2つのテーブルの椅子だけが固定を解かれる。
 おかずは白身魚のフライとソーミンチャンプルー。毎回沖縄料理と普通の料理の組み合わせになっているのは、食材の関係なのだろうが食べる側としては楽しい。


 掲示板の那覇入港時間は朝の「11/23(水)午前」から、10時頃には「11/23(水)12:00」に変わっていた。

 午後は揺れに身を任せながら読書にふけるのみ。さすがに読書にも飽きないわけではなく、普段はまったくやらないゲームセンターのゲームに食指が動かないわけではないが、1回でもやってしまうと100円硬貨がいくつなくなるかわからないので我慢する。
 船の揺れにも慣れたのか、比較的対応しやすい揺れなのかわからないが、さほど不快ではない。どの程度の揺れかご覧になりたい方は、下の「続きを読む」からどうぞ。

 夕食。

 これまでに比べて、ちょっと簡素になった。まさか食材が底を尽きかけているのでは…と思うが、乗客定員270名の船に3人しか乗っていないのだから、そんなこともないだろう。もっとも、乗客数が少ないことは最初からわかっているので、あまり多くは積み込んでいない、ということも十分に考えられるが。

 19時30分頃、那覇到着予定時刻は明日15時になるという放送がある。ま、とにかく船に身を任せるだけ。寝る。
[写真:2005年11月22日]

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2005.12.29

飛龍漂流記(10)―台湾・沖縄

2005年11月21日(月)

 夜中、ふと眼が覚めると揺れは治まっていた。それまでは予告された通りかなりの揺れがあり、物の落ちる音、何かが通路を転がる音等が聞こえて、何度か眼が覚めていた。

 便所に立つついでに甲板への出口から外を覗いてみると、明かりが並んでいるのが見える。あれはどのあたりだろう。ネオンは見えないので、都会ではないようではあるが。

 次に目覚めたときには、既に明るくなっていた。船は停まっている。案内所横の掲示板を見に行くと、那覇入港時間が「11月22日(火)」となっている。


 甲板に出てみると、天気は良く、さわやかだ。軽く体操をする。船の左側、おそらく東側と思われる一帯に陸地が見える。南東と思われるあたりには、高い山もある。昨夜、案内放送のあった地点から折り返したとすると、台湾北西部だろうか。それにしても、なぜ停まっているのだろうか。朝の適当な時間まで待っているのだろうか。


 朝食の予定時間は8時30分。今朝から船内の時間は台湾時間から日本時間に代わっている。従って、昨日までなら7時30分に相当する時刻だ。
※本文の表記も今回から日本時間とします。

 そろそろ、と思った頃に放送が入る。なんと、遅れのお詫びに朝食は無料になるとのこと。ちょっと得した気になる。放送は日本語のみで行われ、台湾人の乗客には食堂のウエイターが説明をしに来ていた。

 ということで、朝食です。和朝食と洋朝食と、あと何かあったような気がするが、選んだのは和朝食


 到着が明日になるということは、少なくとも今日乗る予定だった飛行機と、泊まる予定だった宿はキャンセルしなければならない。
 まだ台湾近海なので、船内の公衆電話は使えないが、携帯電話(au)の「グローバルパスポート」機能が威力を発揮する。
 まずは日本航空のウェブサイトで飛行機を取り消し。「バーゲンフェア」の割り引き運賃なので50%の手数料を取られてしまう。元が安いのが幸い。
 続いて楽天トラベルで予約した石垣島の南西ホテルに電話。こちらは手数料なし、というか現地払いなので何にもなし。電話の向こうの女性が残念そうな口調で、申し訳なし。
 そんなことをしているうち、逆に有村産業の石垣代理店である美崎運輸から電話があり、明日の石垣発基隆行き「飛龍」は「台風のため」欠航になったとのこと。ま、そのあたりの事情はまさに身を以って感じているところなので…。もちろん後日に無手数料払い戻しとなる。
 ついでに、新聞社のサイトでニュースを見たり、友人に「大変だ~」というメールを送ったり、あれやこれやでA5505SA大活躍である。もっとも、活躍のつけは翌月の料金請求にやってきたのだが、文句を言ってはいかんでしょうな。

 で、何事も無く昼食の時間となる。もうずっと無料なのだが、ここからは選択肢は無くなった。トーフチャンプルー(かな?)と鶏の空揚げ。


 昼食後に見ると、那覇入港時間は未定になっていた。


 そう言えば、船内をぶらぶら歩いていると何かパネルのようなものが通路に落ちているのを発見した。乗船直後に散策した時にはなかったような気がするし、昨日の大きな音はこれが外れたときのものではないかと思われる。


 朝は晴れていたが、15時頃から雨が降り始める。しばらくすると、今日始めて船が動き始めた。いよいよ那覇へ再出発か、と思ったが、ちょっと動いてまた停まってしまった。

 ということで、もう夕食。コロッケ、豚の耳(?)の炒め物等。


 夕食後に放送があり、現在は高雄付近の島(としか案内所の女性も教えてくれなかった)で台風の通過を待っているらしい。動き出すのは翌朝(!)の見込みだが、様子を見ながら判断する。那覇到着は明後日(23日)朝以降となる、とのこと。今朝の時点の予定より、丸1日(以上)延びたことになる。
 そう言えば、夕食の時にウエイターが台湾人女性2人に話していた言葉の中に「マコー」というのがあったようだ。「馬公」なら高雄北西にある澎湖諸島の中心都市。地図で見ると澎湖諸島はほぼ円形の澎湖湾を有しており、風を避けるにはぴったりだ。
…とこの時は思っていたのだが、翌日になって『地球の歩き方』を良く見ると「全島が標高30~40mという平坦な地形のため、強風はおさまることを知らない」とあり、朝に甲板から見た山とも一致しない。勘違いでした。

 これだけ遅れて、かつ予定が変わったりすると、普通は案内所の周りの大騒動になるところだが、何しろ乗客は3人なのでまったくそんなことにはならない。自然の力には勝てないという思いからか、私の気持ちもとてもおおらかになっている。この気持ちを持ち続けられれば、どんな人とも仲良くできるのに…と2晩めの床についた。

[写真:2005年11月21日]

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2005.12.28

飛龍漂流記(9)―台湾・沖縄

―ドドーン

 大きな音で眼が覚める。確か16時頃。昼寝のうちに揺れは治まるのではないか、という期待も甘く、かなりの揺れが続いている。時折大きな音がして、大きく揺れる。

―ガーン

 何かが壊れたような大きな音。誰かが廊下を走っている。船員だろう。大丈夫だろうか。船のどこかが壊れたんじゃないだろうか。まさかそこまでとは思えないが…。

 幸い船酔いというほどひどくはないが、それでも軽い頭痛がする。夕食は18時からで、16時30分から17時の間に食券を買わなければならないことになっているが、今の状態では食事をする気にならない。夕食はあきらめ、もし夜にはなって腹が減るようなことがあれば、高雄で買ったクッキーでも食べることにしよう。とにかく横になっている。

 が、17時頃になって急に揺れが治まってきた。となると、途端に食欲がわいてくる。のこのこと部屋を出てフロントへ向かい、「あの~、夕食の食券はまだ大丈夫でしょうか~」と聞く。我ながら間抜けな図だ。食券は販売されず、18時に食堂へ行って注文をすればよいということで一安心。

 外を見ると夕焼け。まだ波は大きいが、きっと明日は晴れるだろう。のんきに「兄弟船」など口ずさむ。


 夕食は「魚フライ定食」(700円)にした。具がたっぷり入った味噌汁がうれしい。食べ終わって食堂を出ようとすると、「デザートがあります」とウエイターがシークワサーゼリーを持って追いかけてきた。


 食後は暗い海を見ながら読書(下の写真はもちろん昼間です)。何しろ部屋には窓が無いので落ち着かない。写真の奥の非常口表示の右にあるのはテレビで、例の台湾人女性2人が台湾のテレビを見ている。そう、書き忘れていたが、この日の乗客はやはりわれわれ3名だけらしい。出港時の放送で乗員は26名ということだったので、乗客1人に乗員8.7人の割り合いだ。


 20時頃だったか、放送がある。この先に台風が接近しており、それを避けるため進路を変更して、台湾海峡を北上することにした。そのため、那覇到着は大幅に遅れる。到着予定は、明朝知らせる、とのこと。

 こりゃ大変だ。(7)に写真を載せた地図のように、本来は台湾最南端からほぼまっすぐに那覇を目指すはずが、大幅に遠回りをすることになる。しかも、高雄からここまで既に約8時間が経っているので、元に戻るだけでも明日の4時頃までかかるということになる。かと言って、時化の海を大揺れに揺れながら進んでもらうわけにもいかず、こうなったら文字通り大船に乗ったつもりでいるしかない…って、使い方間違ってますな。

 通りがかった船員さんの話によると、2時間ほどしたらまた揺れ出すらしい。つまり、さっきの大揺れの海をまた通るということだ。こりゃ大変だ。1等室より2等室の方が揺れにくいということなので、身の回りの品だけ持ってそちらへ移動。あとはとにかく寝るのみ…。

[写真:2005年11月20日]

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2005.12.27

飛龍漂流記(8)―台湾・沖縄


 出国手続きは「レキオホール」で行われる。簡単に終わってKAOHSIUNGの入国印の隣にKAOHSIUNG PORTの出国印が並んだ。日本の場合は港が地名、空港は地名+A.P.になるようだが、高雄は逆である。

 あとは出発を待つだけ。揺れないことと、那覇到着が遅れることが無いように願っておく。到着予定時刻は明日の14時00分。18時45分那覇空港発の日本トランスオーシャン航空JTA625便で石垣に向かうことになっているので、あまり遅れると困るのである。いちおう安全のため那覇→石垣の最終便にしたのだが…。

 甲板へ出て港の様子を眺める。まだ小雨が降っているので、歩いてまわったり、少しだけ屋根のあるところにいたり。ふと気付くと、船が動き出しているじゃないか!時刻は11時45分で、出港予定の15分前。案内放送も無ければ汽笛も鳴らず、銅鑼の音も無い。静かな出港となった。

 動き出すとすぐに180度向きを変え、船首を北西に湾の出口に向かう。右側にはしばらく前までいた「高雄港国際旅運中心」が見え、相変わらず「臺華」と同じく馬公行きの高速船が停まっている。「臺華」は今日は運休なのだろうか。


 港内には灰色の軍艦や、黒い潜水艦の姿も見える。愛河の河口付近は、いっぱいに人を乗せた遊覧船が行き交う。天気はよくないが、今日は日曜日だ。

 20分ほどで「幕張の防波堤」ならぬ「高雄の防波堤」旗津半島の先端に近付く。上の写真のように細い水道で、右の本土側には灯台と監視設備のようなものがあり、左の旗津半島には切り立った崖と遊歩道がある。「歓迎光臨中華民国高雄港」の看板があるということは、逆にこちらは高雄港を離れるということだ。


 このあたりで昼食の案内があり、食堂に向かう。メニューは通常の定食と沖縄料理が8種類ずつほど。船内で食事をする機会は明日の昼まで4回だが、まずは「沖縄そば」(700円)。これから沖縄に向かうのに、わざわざ船の中で沖縄料理を食べることも無いようなものだが、今回は沖縄滞在時間が短いので、ここで食べておくことにする。おにぎりがうまかった。


 食後1時間ほどの13時30分頃から、波が高くなって船が揺れ始めた。廊下を歩くにも「伝い歩き」になる。ここは三十六計寝るにしかず。部屋に戻って布団、じゃないや毛布にもぐりこんだ。

[写真:2005年11月20日]

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2005.12.20

飛龍漂流記(7)―台湾・沖縄

 出港まではまだ1時間半ほどある。出国手続きは船内で行い、後ほど案内があるということなので、散らかる前に部屋の写真を撮っておこう。
 部屋は「インサイドキャビン」の名の通り船の内側にあり窓がない。今日は1人なので良いが、これで知らない人と同じ部屋になるのはきついだろうなぁ…。


 2段ベッドが2つで、掛け布団ではなく少し薄汚れた毛布があるだけ。仕切りはカーテンだし、B寝台の2段みたいなもんです。

 その毛布。1等にしてはちょっと寂しい。

 入り口に向かうと左にベッドにもなるソファ。右のテレビでは映画のビデオが流れており、その向こう側が便所とシャワー。浴場がないのがこの船の欠点。


 廊下。沖縄の飾り物があります。

 こんなものもあちこちに。


 航路。台湾最南端を回ってほぼまっすぐに那覇へ向かうようです。

 缶ビールは免税で150円。沖縄-台湾を航行している間だけ買うことができます。ちなみに缶コーヒは140円。

 この他の船室や設備等は、有村産業のサイトでどうぞ。

[写真:2005年11月20日]

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飛龍漂流記(6)―台湾・沖縄

 10分ほど揺られただろうか、ようやく船は対岸に着く。高雄の防波堤のように細長く伸びた旗津半島になるらしい。何とか船室から抜け出すと(入るより出るほうが大変!)、コンテナが積み上げられた貨物港だ。そこに停まっている白に水色の帯を引いた錆の浮いた船が…「飛龍21」だ!ようやくここまでたどり着いた。


 「飛龍21」には、盛んにコンテナの積み込みが行われている。乗ってきた「渡し船」からも「一族」の段ボール箱が下ろされ、有村産業の15フィートコンテナに積み込まれている。いや、「一族」じゃない。「渡し船」に乗ってきたのは女性2人だけ。この2人でこれだけの荷物とは、台湾と沖縄で商売でもしているのだろうか。

 ここにも何も案内はない。小雨も降っているし、いつまでもコンテナの積み込みを見ていてもしょうがない。さっき言われた「チェンジ」が気になるが、もう乗ってしまおう。乗れば日本語も通じるだろうし、何とかなるだろう。
 タラップの階段を登ると、船の中はエスカレータになっている。それで登ると案内所があり、若い女性が出迎えてくれた。乗船券を出すと、1等船室の鍵を渡してくれる。「チェンジ」はしなかったが、問題はないようだ。とにかく朝からここまで不安続きだったが、ようやく安心することができる。1等船室は4人部屋だが、客が少ないので1人で使えるとのこと、とにかく部屋へ入ろう。


 これが案内所。船の外観はあれですが、中に入るときれいです。左側に見えるのが「バー飛龍」と売店の入り口。

 1等船室の鍵。このキーホルダは売店で売っていました(確か)。

[写真:2005年11月20日]

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2005.12.19

飛龍漂流記(5)―台湾・沖縄


 何とか高雄港にはたどり着いたものの、まだ不安は払拭しきれない。確かに、待合室らしく椅子は並んでいるし、荷物を検査する装置等はあるが、有村産業の窓口が見当たらない。時刻表等の掲示もない。国際航路の乗り場なのに、売店もなければ土産物屋もない。もちろん食堂もない。そもそも、9時になっても客らしき人が誰もいない。まさか乗客が私だけということはないと思うが…。
 上の写真の中央に写っている机のあたりに、ここの職員らしき男は3人ほどいて、1人は「船長さん」のような白い服を着ている。しばらくすると手招きされ、乗船券と旅券を示すように言われる。3人のうち1人が表の印刷された紙を持っており、そこに私の名前があった。どうやら乗客の名簿らしい。私の他の名前は台湾人の女性らしきもの2人だけだ。つい生年月日が眼に入り、40代と60代。母娘だろう。
 ここで「出境旅客服務費」の166元を払う。先ほどタクシーの運転手に断わられた500元札を出すと、やっぱり受け取ってもらえない。「船長さん」が日本語で「古い」。あぁ、そういうことだったのか。運転手は釣り銭を持っていないのじゃなかったのか。しかたがないので1000元札を出すと、今度は本当に釣り銭がなく、3人の財布の小銭がかき集められ、834元が戻ってきた。

 しばらくすると、段ボール箱を山のように載せた台車と10人弱の人が入ってきて、ようやく活気付く。小さい子供も3人いて、待合室中を走り回る。この人達が「飛龍」に乗るのかな。さっきの名簿の2人だけが乗るのだとすると、一族で見送りに来たというところだろうか。長時間の乗船なので、子供がいると楽しいかもしれないな。山のような段ボールは、次々に荷物検査器にかけられてゆく。
 前後して、鞄を持った若い男が入ってきて机のところに座る。この男が有村産業の人らしい。私の方にやってきたので乗船券を見せると、ちょっと眺めてから「チェンジ」と言って海の方を指差す。旅行会社の発券した物だから、正規の切符に交換しろということなのだろう。しかし、どこで交換したらいいのかわからない。別にすぐにやる必要もないような感じだったので、頭にだけ止めておこう。この男が案内してくれるのかと思ったら、いつの間には姿を消してしまった。


 それにしても、乗るべき「飛龍21」が見当たらないのはどういうことだろう。目の前に停まっている「臺華」は、側面に「高雄-馬公」の表記があるので、澎湖島行きのようだ。『地球の歩き方』(2002~2003年版)によると、「台華号」の高雄発時刻は9時30分となっている。ということは、これが出てから「飛龍21」が入ってくるのか、単に到着が遅れているだけなのか。
 ふと気付いた。この本には高雄港への行き方は書かれていなかったが、高雄港から中心部へはあったはずだ。見ると、「高雄港客運站に渡し船で渡る」とある。なるほど、だから「飛龍21」はいないんだな。しかし「渡し船」にはどうやって乗るのだろう。案内があるのだろうか。自分で乗り場を探す必要があるのだろうか。とにかく、この部屋にいる人達の動きを見落とさず、かつ自分の存在をアピールしておくことにする。
 ということで、あまりふらふらして「渡し船」が出てしまうとまずいので椅子に座って文庫本を読み続けるが、それでも時々は近くをぶらぶらしたくなる。壁に有村産業の色褪せたポスターが貼られているのを見つけた。ここが沖縄行きの船の出発地であることの、唯一といってもいい証である。


 10時を過ぎた頃、「臺華」の前に小型の船が停まり、「一族」の段ボールが次々に積み込まれていく。この船が「渡し船」なのだろうか。あまり客が乗るような雰囲気ではないが…。しかも、「クルーズフェリー」を名乗る「飛龍21」に乗るために。
 しかし、先ほどの職員らしき男が、「あれに乗れ」というような仕草をしている。荷物を持って船のそばに行くと、写真のように渡り板も何もない。ちょっと足を滑らせたりすると、簡単に海に落ちてしまいそうだ。しかも先ほどから小雨が降っており、甲板はいかにも滑りやすそうになっている。
 おっかなびっくり乗り込んで、甲板が狭いので安全のためにも船室に入ろうとするが、この入り口がまた狭い。立ったままはおろか、かがみこんでも入れない(私には)。しかたがないので入り口の上を両手でつかんで、逆上がりをするような感じで(できませんけど)足から入り込んだ。
 しかし、しばらくして船が動き出してから気が付いた。この状態じゃ、船が転覆しても絶対に逃げられないではないか。出ようかとも思ったが、結構揺れているので、今更狭い甲板に出るのも危険だ。びくびくしながら乗り続けた。南無三宝である。


 船室から操縦室(でいいのかな)を見る。

[写真:2005年11月20日]

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2005.12.18

飛龍漂流記(4)―台湾・沖縄

 11月20日(日)、いよいよ「飛龍21」で那覇に向かう日である。
 高雄港の発時刻は12時00分だが、JTBでもらった資料の4枚目(前回参照)には「出港時刻2時間前までにターミナル受付窓口で、出国手続きを済ませるよう案内のこと」とある。さらに昨日の予約再確認では、「3時間前までに港に来るように」と言われた。2時間前なら10時00分、3時間前なら9時00分である。
 いずれにせよ、乗り場の位置もわかっていないのだから早めに行動しなければならない。「高雄港客運站 Pier1」とメモ用紙に書いて、8時前に宿を出る。宿の前に停まっていたタクシーの運転手にメモを見せると、ちょっと考えてうなずいた。
 この運転手に託すことにして乗り込みかけると、宿の従業員であるおっさんが「帰りますか」と話しかけてきた。このおっさん、宿に着いたときからいろいろ日本語で話しかけてきていた。「はい、ありがとうございました」と返事をする。
 と、
 「どこまでですか?」
 「港です。フェリー。船。」
 「そうですか。」
タクシーに乗り込むと、またおっさんが首を突っ込んでくる。
 「エアポートですか?」
 ちょっと待ってくれよ。こっちはただでさえも行き先が不安なんだよ。余計なこと言わないでくれ。ポートだよ、ポート。エアポートに行かれちゃ困るんだよ。
 なので強めに、
 「違います。港です。フェリー、船に乗って沖縄へ行くんです。」
 「あぁ。」
しかし、また間をおいて
 「エアポート?」
 違うっちゅうてるがな。もう一度同じことを繰り返すと、わかったのかわかってないのか、ようやく解放してくれた。

 後から考えると、運転手には「高雄港客運站」と書いたメモを見せている。飛行機に乗るところは日本だと「空港」だが、台湾だと「機場」で「港」の文字は入らない。なんだ、心配することなかったんじゃないか、と思ったが、さらに考えると高雄国際空港の地元での呼び方は「小港機場」なのであった…。

 閑話休題。いずれにせよタクシーは出発したが、間違って空港に連れて行かれる懸念はある。空港の地図上の位置はわかっており、それとは違う方向に走り出したのは確かだが、一方通行の都合なんかで一時的に逆方向に走るなんてことは良くある話だ。しばらくは運転手越しに走っている道や道路標識を見つめ続けていたが、愛河を渡ったところでようやく一安心する。

 しかし、一安心とは言っても「空港へは行かない」ことが確認できただけこと。「飛龍」の乗り場に向かっているかどうかはまったくわからない。港への引き込み線らしき線路が見えて気が引かれたりするが、それどころではない。

 しばらく走ると港らしきところに出て、小さな建物のところで車が停まる。運転手が振り返って「ここか?」というような顔をしている。確かに大きな旅客船は停まっているが、「飛龍21」ではない。そもそも国際航路の出発地らしい雰囲気が微塵もない。もう少し賑わっていたり、「沖縄へ!安くて快適な飛龍で!」という看板が出てても良さそうなもんじゃないか。

 首を捻りながら「ここかなぁ。違うんじゃないかなぁ。もう少し行ってよ。」と、まぁ意味は通じるだろうと日本語で言うと、車は再び走り始める。数百メートル走ったところで停まる。やっぱりそれらしい雰囲気はない。同じせりふを繰り返す。また走る。「フィッシャーマンズワーフ」と表示があるところで停まる。ますますそれらしくない。

 これじゃあ、いつまでたっても埒が開きそうにない。ややあせり始め、もう一度運転手にメモを出す。わかっているのか、わかっていないのか。誰かに聞いたりしてほしいものだが、そもそも誰も歩いていないし、他に車も走っていない。この活気のなさが、不安を掻き立てるのだが。

 車は元の道を戻り始め、最初に停まった場所へ。運転手は「ここのはずなんですがねぇ」と言いたそうな顔で振り向く。「ちょっと待っててもらえますか。調べてくるんで。」とまた日本語で言って、荷物を置いてタクシーを降りる。おっさんがいたので「飛龍、沖縄、フェリー」と言ってみるが、通じない。
 建物の中に入ってみる。「高雄港国際旅運中心」とは書かれており、「入国」「出国」という看板もある。荷物検査用の機械もある。しかし、ひと気がない。間もなく港にくるように指定された出港3時間前だ。もう少し活気があるはずじゃないか。
 もう少し奥へ進むと、ようやく人がいた。「沖縄?」と言いながら地面を指差すと、うなづいてくれる。良かった、ここで大丈夫そう。運転手が最初に停めてくれたところで、正しかったんだ。

 小走りでタクシーに戻り、さっきのおっさんと話していた運転手に礼を言う。料金は190元。500元札でお釣りをもらって、そのうちの10元は受け取らずにお礼に代えようと思ったが、500元札を出したところで首を振る。釣り銭がないのだろう。仕方がないので小銭をかき集めたら、190元ちょうどしかなかった。仕方がないので、「謝々」と言葉と表情と仕草だけで、最大限の誠意を示す。本当に、この運転手のおかげで助かった。


 こんなところが国際航路の乗り場だとは…。

[写真:2005年11月20日]

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2005.12.17

飛龍漂流記(3)―台湾・沖縄

 用意万端整って、11月18日(金)成田18時15分発の日本アジア航空EG279便で定刻9分遅れの21時54分高雄着。金園大飯店Garden Plaza Hotelに泊まる。

 一夜明けた11月19日(土)は特に予定のない日だが、ひとつだけやらなければならないことがある。翌日に乗る「飛龍21」の予約再確認(リコンファーム)だ。
 実はこの再確認については、情報が錯綜している。やらなければならないことは共通しているが、期限が1日前から72時間(3日)前までとばらばらなのである。そもそも切符購入時にJTBから渡されたA4版4枚の資料でも、1枚目の「予約回答書」(有村産業からのFAXの写し)には「台湾入国後、出国する2005年11月18日までには」とあり、4枚目の注意事項を列挙した紙には「復路便出港の72時間前までに」とある。後者は下のほうにURLが書かれており、JTB社内用の資料(タリフ)のサイトから印刷したものらしい。
試しに見ようとしたらIDとパスワードの入力を求める画面が出た。

 念の為に「72時間前までに」しておいたほうがよさそうだが、まだ出発前である。再確認先は台湾なので、国際電話をしなければならないのだろうか。ひとまず「大阪予約センター」に電話をすると、また「大阪の姉ちゃん」(同一人物かどうかは不明)が出て、台湾に入ってからで良いことを教えてくれる。もうひとつ知りたいことがあったのだが、これは再確認時でよいだろう。

 ということで、19日に宿の部屋から再確認の電話をすることにしたが、これまた前述の資料の1枚目には「永安船務」、4枚目には「永安船務」と「海天船務」が書かれている。前者は台北、後者は高雄の代理店となっている。
 まずは、高雄から乗ることでもあり海天船務に電話をしてみる。が、しばらく呼び出し音が鳴ってから出た男性には、日本語が通じない。電話の向こうの雰囲気も、旅行会社とは思いにくい(何も音がしていなかった)。
 それでは、と永安船務に電話。こちらは、電話に出た女性に「日本語でもいいですか」と言うと、別の男性が出てきて、無事に予約されていることが確認できた。

 電話が切られそうに鳴ったのをあわてて止め、知りたかった乗り場を聞く。出発前にいろいろ調べたのだが、どこにも地図が見当たらない。有村産業のサイトにも「高雄港1号ふ頭旅客中心」とはあるが、住所も地図も載っていない。これだけの情報では不安なので、詳しい行き方(何番のバスに乗れとか、タクシーに乗ってこう言えとか)が知りたかったのだ。
 しかし、電話の男性は「ピアワンです」と言うだけ。うーん、何となく詳しく聞いてもわかりそうな雰囲気じゃないぞ。台北の旅行会社だし、日本語も十分ではあるが細かい話ができるような感じではない。仕方がない、何とかなるだろう、と結論を出し、電話を切ったのであった。

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2005.12.16

広島-釜山航路は撤退―韓国・広島

 日本と韓国を結ぶ旅客船はいくつかあるが、そのうち広島-釜山を結ぶフェリー「銀河」(ウンハ)が運休中であることがわかった…と、新聞のような文体で書いてみたが、要するに私が今日になって知ったというだけのことである(新聞の場合もおんなじか)。
 中国新聞の10月25日付け記事によると、今年8月から故障のため運休しており、運行会社である釜関フェリーは撤退を通告したとのこと(もっとも、船のウェブサイトでは「銀河」は既にギリシアに売却されたとなっている)。
 運航開始は2002年10月21日で、平均乗客数は約80人だったらしい。

 日韓航路では、同じ2002年運航開始の小倉-釜山・蔚山航路が既に姿を消している。ガゾーン関門北九州圏によると、関門汽船と共同運航していた武星が2004年9月に倒産したらしい。
 この船には2003年12月に乗っている。最初は小倉→蔚山を予約したのだが、乗船予定日の1週間ほど前に電話があり、「定期点検」(確かそう言われた)のために運休になったということだったので、翌日だったかの小倉→釜山に変更してもらった。
 しかし乗ってみると、下の写真のようにがらがらで、乗客は数人だけ。本当は蔚山行きは「定期点検」じゃなく、客が1人だから運休にしたんじゃないか、等と邪推をしていたが、今Googleで検索してみると故障が多かったのは確かなようで、故障→運休→客離れとなったようだ。
 なお、これで小倉からの定期旅客船はなくなったが、「出入国印収集家」の方は心配する必要はない。小倉の印は、下関と同じ「KANMON」だった。

 それにしても、この手のものは「乗れるうちに乗っておく」がやはり基本ですね。対馬-韓国にも早めに乗っておかねば…。


 知らなかったが「世界初の三胴式超高速旅客船」だったらしい。

 免税品も売っていたが、とにかくすいていた。

[写真:2003年12月 9日]

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2005.12.15

飛龍漂流記(2)―台湾・沖縄

 飛行機は予約したが、肝心の船の予約はなかなかしなかった。日本-台湾往復だけならまだしも、那覇→石垣の予約をしている以上、他の選択肢はないのだが。
 有村産業の公式サイトができたのはつい最近で、それまでは「公認」と思われる個人サイトしかなかった。それでも非常に参考にはなったのだが、当然のことながらサイトからの予約はできないし、メールでの予約もできない。公式サイトができたことに気付いたので大いに期待したのだが、やっぱり予約は「予約センター」に電話するか、旅行会社に行くしかないようだ。インターネットでの予約に慣れてしまうと、どうも面倒だ。
 それでもようやくやる気になったのが10月29日。まず最も近い「名古屋予約センター」に電話するが、留守番電話。せっかくのやる気をそがれたが、何とか立ち直って「大阪予約センター」に電話。ここでは、いかにも「大阪の姉ちゃん」という感じの女性が出たが、国際航路の予約は旅行業者で、と言われる。それでも「どの便ですか」と聞かれたので答えると、「大丈夫です」と言ってくれた。いい対応だ。実は、もしかしたら台湾からの往復はできないんじゃないかと少し懸念していたので、それがなくなって安心する。
 旅行業者…とりあえず「びゅうプラザ」に行ってみるが、国際航路は扱っていないらしい。「JTBさんなら大丈夫だと思うんですが…」と、近くの支店への道順を丁寧に説明してくれる。ここもいい対応。
 言われたとおりJTBに行ったが、土日は機械が動いていないので切符の類は発行できないとのこと。しかたがないので月曜日に出直すと、有村産業の営業時間が終わっているので申し込みだけ。翌日に電話がかかってきて「旅券のコピーが必要」ということで、再び出向く。ま、定期券の区間内だからいいんだけどね。
 ということで、ようやく手に入ったのが下の切符。往路(としておく)の高雄→那覇は1泊2日になるので1等にして21000円。1等は4人部屋で、特等(2人部屋)を1名で使用しても29300円にしかならないのだが、節約する。復路の石垣→基隆は昼間だけなので2等でよかろうと12500円。

 この後、初日の高雄着が遅いので高雄の宿2泊。沖縄から戻ってきてからは阿里山鉄道に乗ることにして、その乗車券。それを届けてもらうために、同じ旅行社で台北の宿1泊。阿里山の宿1泊。最後の夜は友人に会うことになっていたので、宿が決まっていたほうが良かろうと台北の宿もう1泊…と予約をする。海外旅行を始めたころならまだしも、最近ではこんなにきっちりと予約をして行程が決まっているのは珍しいことだった。

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2005.12.13

飛龍漂流記(1)―台湾・沖縄

 11月後半に1週間ほどの休みがあり、ここでは船で海外に行くことにした。

 韓国とは博多・小倉・下関・大阪と釜山を結ぶ船に乗ったことがある。他に日本からの定期の旅客航路としてはロシア・中国・台湾とのものがある。4月に利尻から稚内への東日本海フェリーに乗った時、時刻表に稚内-コルサコフの船が載っているのを見て大いに興味をそそられたのだが、11月後半に旅行するには、サハリンはさぞ寒かろう。
 であれば、台湾はどうだろう。台湾へは有村産業の「飛龍」「飛龍21」が名古屋・大阪・那覇・宮古・石垣と基隆・高雄を結んでおり、以前から気になっていて簡単な計画を立てたりしていた。
 国際航路で楽しみなのは、旅券に港の出入国印が押されることである。インターネットで調べてみると、どうやら日本出入国の手続きは最初または最後の港で行われるようだ。これは、時刻表で各船の経由地を見ると、那覇か石垣ということになる。
 日本から往復するとなると、往路「飛龍21」復路「飛龍」なら石垣土曜15時発→高雄日曜6時着・基隆火曜22時発→那覇水曜15時着で台湾2泊。逆の往路「飛龍」復路「飛龍21」なら石垣火曜11時45分発→基隆同18時着・高雄日曜12時発→那覇月曜14時着で台湾5泊となる(いずれも11月の時刻表による)。ちょっと帯に短したすきに長しだ。
 ふと気付いた。台湾から沖縄を往復したらどうだろう。「飛龍21」「飛龍」なら高雄日曜→那覇月